今日も脈絡のない言葉たち

ただただ思ったことを綴っています。

今日も脈絡のない言葉たち

お盆に考えていたこと…「跡継ぎ」なんて言葉は大半が重い

私の育った家は田舎の小さな集落にある兼業農家

すごく歴史があるわけではないだろうが、墓誌に刻まれる人数で20人弱。ここに順通りにいくと、祖母、父が入る。母は樹木葬のような形をかねてより希望し、私は "墓" というものに対して負のイメージが強く、できれば散骨が希望。仏壇も位牌もいらない。『何も残らなければいい。』と思い続けて何年もたつ。

全てを知らぬふりして「嫁にいったから無関係。」と考えれるほど、私は薄情ではない。

 

私は産まれてまもなく母から離され、ほとんどの面倒を曾祖母が見ていたと聞かされた。祖父がなくなるまで、当たり前のように"本家、跡継ぎ"という言葉を事あるごとに聞かされた。

母親から子供を取り上げ、働かせるってどうさ?

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私が以前書いた記事。

たぶん我が家は普通じゃない。

実家で暮らす共働きで"祖父母に預けながら働く"というのはよくあると思う。

わが家の変わっていた点は、私たち姉妹が父母と食事をした記憶がほとんどない事だ。曾祖母が亡くなったあと、小学生くらいの記憶をたどっても、大晦日と元旦くらいしか食卓を家族全員が囲んだことがない。

母は昼間、父の仕事を手伝い、夕方になると化粧をし、生活費を稼ぐために出ていった。父は夕方の作業が終わると毎夜飲み歩き、夕食を共にすることはほとんどなかった。

家事のほとんどは祖母がしており、私は小学校から帰ると、洗濯物を取り込んだり、夕食の手伝いをしていた気がする。

そんな祖母も祖父から生活費をもらっていなかったので8時~17時まで働いていた。祖父の給与は趣味の骨董品やパチンコ、旅行に使われていた。

 

私も妹も、旅行は修学旅行が初めてだし、たまの家族の外出は買い物で、レジャーや行楽などをした記憶は少ない。

母との時間といえば、買い物へ行く時間や、夜の仕事が休みの時に星座表を持ち流星群を見たりくらいだ。母は少ない時間の中「自由に生きなさい」と言ってくれていた。

ずっと言ってくれていた。

 

それでも結婚などの話題になると、私はを思い出した。結婚の話が初めてあった20代半ばは、幸せなはずの結婚が近づく度、家を捨てるという思考に陥り 、睡眠不足や意識がとんだり、泣き出すと止まらなくなるなど 少しヤバかった。幼い頃から刷り込まれた「跡継ぎ」という言葉はもはや呪いだった。

 

こんな風に育ったから、息子には残したくない。それが田舎や帰る場所を奪うことになっても。

相方が軽い気持ちで「帰る?」とか言うものだから、こんなことを考えていた盆となった。

息子には呪いをかけずに育てたい。

重たい親になりたくない。

それでも

出来る限りの沢山の時間を過ごしたい。

 

 

お盆前に出会った記事

この記事のおかげで、意識して祖母と息子の写真を撮った。

自身もドライだからか、別れる時に「これが最後かもしれない。」と考えているのに。中々写真を撮れていないことを再確認させてくれた。

 

 うーん。

なんかまとまらない。

とりあえず墓終いに金がかかるな!