生きるためにはきっと不要なのだけれど…

ただただ思ったことを綴っています。

今日も脈絡のない言葉たち

テリトリー

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帰宅するとカウンターに置かれていた。

 

カウンターはキッチンとリビングを隔てている。私が掃除をする場所だ。本来なら「家は家族で管理。」と言いたいが、子供におもちゃの管理(片付け)をさせ、夫に自信の物の管理を任せている。片付けができないや苦手な人に多くのスペースを渡すべきではないと思うので、共有部分は掃除をおこなう私が管理するのが望ましいと考えると、個人のお菓子入れ所有する夫が管理すべきモノが、私が管理すべき場所に放置されていることに『おいっ!』と思う。

多くの家庭で似たような事が起こると思うのだが、こういう行為を"良し"として何も言わず片付けるのならば、不満を抱かず片付け続けなければならない。

私はこんなちいさな事で『おいっ!』と心うちで叫ぶ人間だ。小さい。

子育てをする上で子供に挨拶、行動などの決め事の話をする際は親ができているのが前提だ。

だが、関係性によりそれができていなくても"良し"となる場合がある。

それを皆、疑問に思わないんだろうか?

だから私は見本となるよう親も育つべきだと考える。

おもちゃはおもちゃ箱にしまいなさい。

お菓子はお菓子入れに入れなさい。

こう思いながら、おまけのプリングルズを片付ける。

きっと家族という関係が続くうちは、私は片付けるような気がする。

だから息子には、この行動がおかしいと疑問を持ってほしい。

なぜ?お父さんのおやつをお母さんが片付けるの?変だな?と感じる事こそが人が自分のために時間をくれている事への感謝に繋がるのではないだろうか?